2006年10月30日月曜日

澁澤邸で四谷シモン語る

人形作家 四谷シモンが北鎌倉の澁澤邸で自作や澁澤氏についてなど語っている映像があるんですね(しかも語り口調は森本レオ風)。しかしこの澁澤邸は恰も脳裡に浮かぶ情景がそのまま出現してしまったかのようです。その道で蘊奥を極めた方のプライベート空間というのはさもこうなるのでしょうか。

澁澤邸の一枚の絵から

金子宅アトリエでのインタビューにスウィッチ、エロティシズムで繋がる澁澤龍彦との関係について。あくまで個人的な事ですが、装幀に関して金子國義や横尾忠則は好みではありません。ページを捲る前から強烈なイメージを植え込まれてしまうので、買うには良いですが読むのは辛いのです。

2006年10月24日火曜日

新しいキーボードで音遊び

時間をみては音遊びに興じる習慣は相も変わらず続いています。アカデミックな教育は受けていないものの常に琴・三味線・尺八など邦楽が流れる環境で育った身としては自然な傾倒なのかもしれません。

2006年の年明けに仕事の入り用でこのYAMAHA S90ESデモ映像)と云う無骨なキーボードを購入してからは思い浮かぶ構想も専らリベラルなピアノ曲ばかり。今は誰に聴かせる当てもない長尺の独奏曲(20分強予定)を書き進めているのですが、着手から二ヶ月かかっても尚未完のままです・・・。

思えば、14歳の頃中古でYAMAHA DX7、一年後にKORG M1を買ってから15年もこうして音と戯れていることになります。一時はキーボード数台とラック音源、エフェクター、サンプラー等の機材群で六畳一間が埋め尽くされる状態までに膨れあがり収拾がつかない状態に陥りましたが、時と共にひどくシンプルになったものです。部屋の押し入れにはその名残がいくつか眠っていますが今後しばらくはこのキーボード一台とソプラノ・クラリネット、アルト・クラリネットそして数種の吹き物で十分な気がしています。

2006年10月23日月曜日

にゃんこ先生のお出迎え

気分が高揚していると“にゃんこ先生”は椅子に座って出迎えてくれます(→)。そして帰宅したばかりの私を捕まえ必ず遊びを催促します。15分程、羽付きの釣り竿を這わせたり、ビニール袋を投げつけたりすることで気も晴れるのでしょう、悠々と外に出て行くのです。
一方(→)、このようにベッドに鎮座している時はやる気がない時。この後もしばらくは微動だにしません・・・。

2006年10月22日日曜日

死去70年

日が変わり、魯迅死去70年のこの日、埃のかぶっていた『野草』と『評論集』を引っ張り出し、布団の中で読み返してみようと思う。

そういえば、猫を穂でベシベシといじめる魯迅ですが、この動物を伴侶とする習慣が無いお国柄ゆえ仕方のない事なんでしょうかね・・・

2006年10月18日水曜日

現実逃避にゲームでも。

同時並行で重なる案件と4月から遅れる入金で釈然としない日々の中、数ヶ月前に近所の腐りかけのゲーム屋で買っておいた『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』をちょこちょこやっている。試験前日に部屋の模様替えをしていたあの頃のような現実逃避。十余年間成長なし・・・ということでしょうか。

2006年10月17日火曜日

寝起き、仕事前に

昨晩仕事が遅くなり、明け方就寝し軒先の鳥達の喧嘩で昼過ぎに起こされた。寝起き一発目にジョン・アダムス/I Was Looking At The Ceiling And Then I Saw The Skyをかけるが今イチ風情にあわない。お気に入りの1,2曲目と13曲目、そして最後の15曲目だけを摘み聴きしていたら、今度はハイトーンで猫が起きる始末。

さぁ 風呂に入って、仕事に行こう。

2006年10月14日土曜日

マルコからフローネへと紡がれる愛

晩飯も食い終わったころ、突如友人が遊びに来るとの事で井の頭公園まで迎えに行き、しばしお話した後フォレスとグルミットの映画を観て寝る。。寝る。。zZzZ....

翌朝見送りついでに吉祥寺へ出て昼飯を頂き、帰宅後仕事開始。一段落した所で独りで「ふしぎな島のフローネ」を観始める。先日まで観ていた「母を訪ねて三千里」は見終わってしまった。さようならマルコ・・・マルコ・ロッシや。。

2006年10月11日水曜日

半身浴のお供に相応しい音楽

男のくせに半身浴が好きで最長8時間も風呂で入りっぱなしだった事もある私でございますが、今日は高橋アキ プレイズ モートン・フェルドマンを聴きながらのご入浴でした。
蝋燭の灯る浴槽に沁みる配列、不協のアルペジオとでも申しましょうか、至極合いますね、揺らぎと陰の織りなすなんとやら。ゆらゆらしてますよ、ゆらゆら。そのまま狭く浅い泥沼に身半分埋もれている私とピアノ。

2006年10月10日火曜日

天を突く針山と息絶える迄の時間

駅のホームから望むビル群、
その屋上にはいずれも天を突かんとする程の突起が連なっていることに気付く。
避雷針だ。

日常の様に目にしている事物にあらためて注目してみるのもいい。
こうしたもの達のおかげて平生死を“意識”しないで、
息絶える迄の時間が延びてゆく事にも気づかずに居られるんだろう。

よく云われる話しですが、私も煙草を吸い始めた頃、吸う度に便意を催していた気がします。
それから十余年経った今となっては別段この症状を起こすこともありませんが、
体内に進入してきた“悪しき者”を外部へ排除しようとして体が反応するんでしょうね。
その煽りをくって菊の門からもトド黒い固まりをが顔を覗かせてしまうんじゃないだろうか、と。

勝手な想像を膨らまし、それに納得してみる一日でした。

2006年10月9日月曜日

夢の中の怪人と呪文

また夢に出てきた。怪人クーコッツ。
怪人クーコッツとは僕の夢にもう二十年以上頻繁に登場せる怪物でして、顔はアナログ時計、体はガス管の様な出で立ちで、人々を追い回すのです。
いつからともなく登場し、いつからともなくそう読んでいる怪物です。

夢判断でなにか分かるかも知れませんが、知らない方がいいですね、こういうのは。

それと永い付き合いと云えば、お腹が痛いときに唱える“呪文”みたいなものもあります。
頭の中でこれを唱え続けるとス〜っと痛みが引いていくのです(実際には気が落ち着くだけだと思いますが)。こういった二十年以上の続く自分の中の“何者”かとの対話は大切にしたいと思っています。

2006年10月8日日曜日

晴れ上がりの公園、神田川最上流にて

堀辰雄三連休初日、徹夜明けの早朝、井の頭公園にて堀辰雄の「菜穂子」を一頻り読み終えた。
この作品は昭和16年(1941年)の二次対戦最中に発表された作品。
本来気入れするのであれば、都筑明(つづきあきら)や菜穂子の旦那、圭介であろうが何故か菜穂子の素行が自分と妙にダブる・・・・・何故だろう。
尤も女性的男性的と云うある種の二元的見方があるとすれば、私は女性的と言わざるを得ない。
その定義の差異は個々人で大く変わると思うが、自分の中の定義、その像から照らしてみると明らかに「女性的」なのである。詳細はここでは触れないが。

ここで一端帰宅し、窓から差し込む日照りを背に就寝。

吉岡実『“死児”という絵』起床後、晩飯がてら外出するついでに神田川最上流のベンチに腰掛け、吉岡実『“死児”という絵』を読み始めた。77年から79年まで「新潮」「群像」「文学界」などに掲載された随筆をまとめたものだ。この随筆を読む限り、無責任人生を地で行く私にとってはこの吉岡さんの夫婦関係は理想的に映る。この夫婦関係は素敵だな、と素直に感じてしまうのだ。

その後、公園を半周し、駅方面に足を伸はした先でカレーを食べ、服を買い、日用品も買い、帰宅。

2006年10月5日木曜日

にゃんこ先生、御寛ぎの様子

にゃんこ先生、御寛ぎの様子その猫とは近所の路地裏で出逢った。
まるでずっと一緒に居たかのように振る舞うの猫だった。

少し撫でてから野草の穂でジャレ遊び、“またね”とお別れを言い残し、背を向けて歩き出してからしばし、小さな鈴の音が街灯影をかすめるのに気づきました。
彼は暴風時の隣り合う枝のように、時に遠ざかり、時にぶつかりを繰り返しながらそのままアパートの戸口までついて来てしまいました。
この時そんな彼を愛おしく思ったのですが、同時にそう思わせるのが彼の活きる術であることを感じ、少し切なくもなりました。
人を忌み嫌いゴミ箱を漁る生粋の野良もいれば、人に取り入り愛想で網をかける猫もいる、それに向かう人の構えもまたそれぞれなのです。

にゃんこ先生、御寛ぎの様子 当初首輪をしていたので所謂「外猫さん」かと思いご飯は控えて“お家へお帰りよ”と帰宅を促したのですが、それから数日間毎晩のように部屋の戸口に座り込んでいました。
私の帰宅が深夜になって“流石に今日は・・・”と想いを馳せている間にも彼はじっとそこに座っているのです。
そして私の姿を見るなり何ごとも無かったかの様にすくっと立ち上がり身体を擦り寄せ鳴き声をあげます。
路地裏での出逢いと同様、まるでずっと一緒に居たかのように振る舞う姿に変わりはありません。
そんな彼の様子を日々意識的に眺めていると、その素行は明らかに「外猫さん」と呼べるに至らず、
結局「迷子猫さん」として預かることにしました。しばらくは二人三脚でいろいろな事を学ばなければなりません。
何故なら私は猫と共に暮らした経験が全く無いのです。

預かるにあたって匿名では共修の糸口すらも憚(はばか)られる為、臀部(でんぶ)を振って歩く姿から「肛門ちゃん」と仮の名を冠することにしました。

にゃんこ先生、御寛ぎの様子一夜明け翌日の昼過ぎ、猫用シャンプーやトイレ用品などを揃える為、路地を往来する人々に可愛がられる肛門ちゃんを居残し、私は動物用品店に向いました。
早速店員教示の基、必要なものをカゴに入れながら店内をウロウロしていると、奥まった所に何やら賑やかなスペースが設けられているのに気づきました。
近寄ってみるとそこは動物用品店に在るべき場面となったショーケースと、そこに“陳列”された仔犬仔猫達の姿がありました。
品種や血統にはじまり、性格、好物、去勢状態などさまざまな付加価値が挙げられ、銘標もなく商品化されてゆく彼らを私は凝視することが出来ませんでした。
これが人なら大問題となろうものでしょうが、それが商いの名の下に秩序として取り込まれた時から精査的差別志向はより根深くなり
偽善面した人々は○○の一つ覚えのごとく「動物も同じ命です。責任を持って飼いましょう。」と標を掲げ、
生命の平等を訴えます。店員しかり客しかり、ここにジキルとハイドが隠れていようとは微塵も考えていないのでしょうか。

親で在れば大抵「動物を愛するやさしい子に育って欲しい」と思うものかもしれませんが、
こういった現場を大いなるプレイランドとして勘違いし、そこに愛する我が子を引き込まんとする意識が末代まで世襲されて行く現実は末恐ろしい事態であり、
この事態を人に置き換えてみれば、最近に至りインドや中国などのアジア諸国で奴隷売買、人身売買が「養子」と名を変え続けられている事実が黙認されている事実に対し、避難を浴びせる権利はすでに無いはずです。

また、人の都合による異種交配も然りで、このDNA操作まがいの行為が平然と行われていること、こういった事柄こそが崇高なる矛盾の結果であると思うのです。

この現場を騒がしい我が子の「パンと見せ物」状態で抑する。

つらつらと御託を並べましたが要するに
「そんなところで買うより、野良犬、野良猫を預かって下さい。それが生産的な日常のあるべき姿であり、それが隣り合わせの生命を疎うことです。」
と云いたいだけです。